kikuchif021209 「地方自治論」レポート
「世界遺産と地域振興、またそれに伴う問題点」 k010117 菊地史子
世界遺産、それは人類が残すべき遺産である。日本にもその遺産のいくつかが身近にある。これらの世界遺産を例にとって世界遺産が地域に及ぼす影響について考えてみたい。また、近年は収まってきたが一時は富士山を世界遺産にという動きもあった。また、世界遺産が自国にありながら、国民は一度も見たことがないという国もあるらしい。
世界遺産とは何か、また、そのものが世界遺産に認定された時地域に及ぼす影響はどんなものなのか、世界遺産に認定されるためには何が必要なのか、世界遺産に認定されるための活動、世界遺産保護や修復にかかる費用、それはどこから捻出されているのか、自治体の対応、観光客の増加、それに伴う環境の変化、
1、世界遺産とは?
ユネスコの世界遺産は、人類の文化や地球の自然を、「大切な宝物」として守り、未来へ引き継いでいくための一つの試みである。加盟国数において最大の国際保護条約である「世界遺産条約」に基づき、国家を超えた人類共通の財産として、多種多様な物件が世界遺産に登録されている。
・ 世界遺産条約(世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約)
1972年、第17回ユネスコ総会で採択された国際条約。日本は1992年に加盟。それなで対立するものとして考えられてきた「文化」と「自然」を一つの条約にまとめ、国際協力によって保護していくことをうたっているのが特徴である。現在156ヶ国がこの条約に加盟しており、そのうち114ヶ国が自国の文化や自然を世界遺産として登録している。
1、 世界遺産の登録
世界遺産の登録は、条約加盟国が自国内の候補地を世界遺産委員会に推薦することからはじまる。評価調査を経て、年一回開かれる世界遺産委員会で審査された後に世界遺産リストに登録される。世界遺産委員会は現在日本を含む21ヶ国で構成されている。
・文化遺産・自然遺産・複合遺産
世界遺産は、以下の3つのいずれかの遺産として登録される。
「文化遺産」…優れて普遍的価値を有している記念工作物、建造物、遺跡(パリのセーヌ河岸、タージ・マハル、アンコールなど現在445件)
「自然遺産」…鑑賞上、学術上、保存上顕著な普遍的価値を有している地形や生物、景観などを含む地域(グレート・バリア・リーフ、イエローストーンなど現在117件)
「複合遺産」…文化と自然の両方の要素を兼ね揃えたもの(マチュピチュ、ラップ人(サーメ)地域などの現在20件)
・世界遺産の登録基準
世界遺産条約には、世界遺産に登録するための以下のような基準が設けられている。一つ以上の登録基準を満たしていることが、世界遺産に登録される条件となる。
・文化遺産の登録基準
1)人間の創造的才能を現す傑作であること
2)ある期間、あるいは世界のある文化圏において、建築物、技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に大きな影響を与えた人間的価値の交流を示していること
3)現存する、あるいはすでに消滅してしまった文化的伝統や文明に関する独特な、あるいは希な証拠を示していること
4)人類の歴史の重要な段階を物語る建築様式、あるいは建築的または技術的な集合体、あるいは景観に関する優れた見本であること
5)ある文化(または複数の文化)を特徴づけるような人類の伝統的集落や土地利用の一例であること、特に抗しきれない歴史の流れによってその存続が危うくなっている場合
6)顕著で普遍的な価値を持つ出来事、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品あるいは文学的作品と直接または実質的関連があること
・自然遺産の登録基準
1)生命進化の記録、地形形成における重要な進行しつつある地質学的な過程、あるいは重要な地形学的、あるいは自然地理学的特長を含む、地球の歴史の主要な段階を代表する顕著な例であること
2)陸上、淡水域、沿岸・海洋生態系、動・植物群集の進化や発展において、重要な進行しつつある生態学的・生物学的過程を代表する顕著な例であること
3)ひときわ優れた自然美及び美的要素をもった自然現象、あるいは地域を含むこと
4)学術上、あるいは保全上の観点から見て顕著で普遍的な価値をもつ、絶滅の恐れのある種を含む、野生状態における生物の多様性の保全にとって、最も重要な自然の生息・生育地を含むこと
※ 複合遺産は上記の文化遺産、自然遺産それぞれの登録基準を各一つ以上満たしていることが条件となる
2、 世界遺産に登録された時、周りの環境の変化
・ 栃木県日光市における世界遺産「日光の社寺」
1999年(平成11年)の12月2日、モロッコのマケラッシュで開催された第23回世界遺産委員会において、「日光の社寺」が世界遺産に登録された。
世界遺産に登録された「日光の社寺」の内容は、日光山内にある二荒山神社、東照宮、輪王寺の103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)の「建造物群」とこれらの建造物群を取り巻く「遺跡(文化的景観)」である。
【世界遺産の名称】「日光の社寺」(Shrines and Temples of Nikko)
【登録遺産の範囲】二社一寺(二荒山神社、東照宮、輪王寺)及びこれらの建造物群を取り巻く遺跡からなり、その中には国宝9棟、重要文化財94棟の計103棟の建造物群が含まれる。
※ 登録遺産の面積 50.8ha
※ 緩衝地帯の面積 373.2ha 合計 424.0ha
・ 世界遺産に登録されるまでの経緯
1972 第17回ユネスコ総会において条約採択
1975.2 条約発効
1992.6 条約締結のための国会承認
1992.10 「日光の社寺」ほか9ヶ所が文化遺産暫定一覧表に掲載
1997.10 世界遺産登録推進班設置
1998.4 「日光山内」地区の史跡指定について、国文化財保護審議会に報告・了承
1998.5 史跡指定官報告示
1998.5 「日光の社寺」の世界遺産推薦について、国文化財保護審議会に報告・了承
1998.5 関係省庁連絡会議
1998.6.29 ユネスコへ推薦書提出
1998.12.7,8 ICOMOSによる現地視察
1999.12.2 モロッコ・マケラッシュ市 第23回世界遺産委員会で登録が決定
<国の推薦を得るために>
「日光の社寺」が世界遺産に登録されるためには日本政府によるユネスコへの推薦が条件だった。国の推薦を得るために日光市はどのようなことを進めなければならなかったのだろうか。
(1)暫定リスト(暫定一覧表)への登載
世界遺産に推薦されるためには、まずこの暫定リストに登載されていることが必要である。この暫定リストは、世界遺産条約の各締結国が5年ないし10年以内に世界遺産リストへ登録するために推薦しようとしている資産のリストで、国が選定し世界遺産委員会に提出する。(文化遺産のみ提出)「日光の社寺」は1992年に登載された。
(2)国内法による法的保護(史跡の指定)
世界遺産に推薦される前提条件として、推薦される区域が国内法によって法的に守られていることが必要である。今回、推薦された「日光の社寺」の内容は、建造物群と遺跡(文化的景観)、つまり、二社一寺の建造物と、その境内地や建造物周辺の山林地域なので、ここの建物とそれらを取り巻く面的な保護が必要だった。それまでここの建造物については、国宝や重要文化財としての法的な保護が既になされていたが面的には文化財として保護がなされていなかったため、推薦されるには、文化財保護法による史跡の指定が必要だった。二社一寺をはじめとした多くの人々の協力によって事務が進められ、平成10年5月、「日光山内」は史跡に指定された。
(3)バッファゾーン(緩衝地帯)の設定
世界遺産条約の作業指針で定められていて、推薦される資産を保護するために、その周辺に設けなければならない区域。資産の周辺を取り巻く環境や雰囲気といったものを保護していこうというもので、このバッファゾーンについても法的に保護されていることが必要なのである。「日光の社寺」の場合は、自然公園法、都市計画法、森林法、河川法、砂防法、日光市街並景観条例を根拠として区域を設定した。
(4)推薦書の作成・提出
推薦書は、推薦する資産の歴史や価値などを記載した本文、建物の形や配置などの図面、写真、スライド、ビデオからなっていて、すべて英文で作成された。推薦書の提出期限は、毎年一回、7月1日までとなっており、「日光の社寺」の推薦書も6月に、文化庁と環境庁の共同推薦という形で、日本政府が外務省を通してパリのユネスコ世界遺産センターへ提出された。
「日光の社寺」の登録基準として推薦されたものは以下の3つである。
1、「人間の創造的天才の傑作を表現するもの」
日光の建造物の多くは、17世紀の日本を代表する天才的芸術家の作品群である左甚五郎は伝承の人といわれているが、日本画の狩野探幽や大工棟梁の甲良豊後守宗広(こうらぶんごのかみふねひろ)などは、江戸時代を代表する天才的芸術家だった。
2、「人類の歴史の重要な段階を物語る建築様式、あるいは景観に関する優れた見本であること」
東照宮の本社と大猷院霊廟は本田とは遺伝、それをつなぐ石(相)の間という3つの建築がひとつになった「権現作り」という様式だが、その後の日本古来の建築様式の重要な見本となっている。また全体としての建造物群は、周辺の杉の大木と一体となって見事に配置しており、日本を代表する宗教的建築群といえる。
3、「普遍的な価値を持つ出来事、伝統、思想、信仰、芸術に関するもの」
「日光の社寺」は徳川将軍家の祖、家康が眠る墓所として、代々の将軍の社参や朝廷からの例幣使の派遣、朝鮮通信使の参詣などが行われ、江戸時代の政治体制を支える重要な歴史的役割を果たした場所である。また、これらを取り巻く自然環境は、山や森を神格化しようとした日本独特の神道思想と密接に関係するもので、なんともいえない文化的役割を果たしている。
☆「日光の社寺」を支えてきた地域の努力
世界遺産に登録された「日光の社寺」の価値を今日まで支え、伝えてきた大きな要因のひとつに、建造物などの修理・修復をはじめとした継続的な保存・保全への取り組みがある。特に「日光の社寺」の建造物は、江戸時代初期の造営以来、適切な管理が行われ、これまでに度重なる災害等にも見舞われてきたが、その都度、資料に基づき、旧来どおり修復されてきた。さらに、雨や湿気が多く、痛みやすい環境にある「日光の社寺」の建造物は、屋根修理、彩色修理、腐朽部の部分修理等、建造物の維持のための管理も今日まで計画的に適切に行われてきた。
「日光の社寺」保存・保全の歴史
<江戸時代>幕府による定期的な修理、日光の町に常駐した職人軍団の最高の技術で江戸時代通して保たれた
<明治時代>1871年、神仏分離の公布、急激な近代化の波により、文化財軽視の風潮、しかし、1879年、当時の日光の町民や幕臣等によって「日光の社寺」を保護するための「保晃会」(ほこうかい)が組織され、社寺の修理などを開始。
1897年に政府が「古社寺保全法」を制定、日光には「日光社寺修繕事務所」が、政府及び二荒山神社、東照宮、輪王寺によって組織され、社寺の修理を担当
<日光が抱える問題点>
まず、「日光の社寺」を世界遺産にするにあたって、日光市が狙ったのは、地域の活性化だった。日光特有の文化遺産を世界遺産にすることで、年々落ち込んでいった観光客数、産業の停滞、過疎化などを食い止めるための最高のカンフル剤になるのではというねらいがあった。確かに「日光の社寺」が世界遺産に登録された次の2000年には観光客の増加がみられる。しかし、世界各国から来る観光客に十分な対応ができる設備がなかった。たとえば、カードの使える店が少なかったり、交通網が整備されてなかったり、また、国際化が進めば当然来る人も英語圏ばかりというわけにも行かないといったことが問題点としてあげられる。この見方からすると、日光が世界遺産に登録されるのは急ぎすぎたのではないかという意見もうなずける。とにかく「日光の社寺」を世界遺産にするために動いていたのはその地域の市民ではなく行政であって、その行政の動き方も法的に外堀を埋める作業しかしてこなかったのではないだろうか。この問題は行政と市民が一体とならなければ解決できない問題ではないかと思う。
二つ目に、実際近年起こっている問題として、バスや乗用車であふれた国道119号線沿いや大猷院周辺の川には、捨てられた弁当の空き箱や飲み物の空き缶などが散乱している。観光客の増加はまさに世界遺産効果≠セが、それによって大きな問題を突きつけられた。日光市の大橋忍・観光商工課長は「観光客はテーマパークでも見に来る感覚かもしれないが、なぜ遺産に登録されたのか、遺産の価値をもっと訴えていかなくては」、日光ユネスコ協会の高橋正夫会長(66)も「建物だけでなく、それを取り巻く自然環境保護や観光客のマナー教育をしなければならない。広域行政的な取り組みも必要だ」と話す。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/nature/news/200102/19-06.html
関連サイト
世界遺産資料館 http://homepage1.nifty.com/uraisan/hajime.html
世界遺産 the world heritage http://www.tbs.co.jp/heritage/
世界遺産「日光の社寺」 http://www.city.nikko.tochigi.jp/heritage/japanese/main.htm